今回は『吾輩は猫である/夏目漱石のあらすじと要約』です。
「吾輩は猫である」という作品は、主人公が猫で、猫視点でおもしろおかしく人間が描かれているユーモラスな作品です。
夏目漱石は「吾輩は猫である」を1回限りの朗読のつもりで書き上げていたのですが、
あまりに好評だったので、どんどんと話が水増しされていったという背景があります。
今回は『吾輩は猫である/夏目漱石【あらすじ・簡単な要約・読書感想文・解説】』として、
”短く・わかりやすく” 書いていくので、ぜひ独創的で斬新な漱石ワールドをお楽しみください!
※ 時間のない方向けに、最初に「まとめ」を載せています
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吾輩は猫である/夏目漱石【あらすじ・簡単な要約・読書感想文・解説】
「吾輩は猫である/夏目漱石ーあらすじ・簡単な要約・読書感想文・解説」まとめ
・ 吾輩は猫である。名前はまだない。
・ 辺りは暗くなり、腹は減り、吾輩にはもう一時の猶予もなくなっていた
・ 吾輩は暖かい場所を求めて、この家に来た
・ 吾輩はお手伝いの人間に何度も外に放り出されたが、家の主人の許しが出て、この家に住みつくことになった
・ 主人は変に凝り性で、胃が弱いくせに、いろいろなものにハマっていた
・ あるときは、吾輩をモデルに全然似てもいない写生をしたりもしていた
・ 吾輩と主人の生活は続いていったが、主人は胃が弱いために、間もなく死ぬだろう
・ 死は万物の定めだ
・ 吾輩は憂鬱になってきたので、ビールを飲んだ
・ あてもなく、あちらこちらを歩き回ったような…
・ 気が付くと、吾輩は壺に落ちて、水の上にいた
・ もがけば少し浮くけれども、すぐに水の中に沈んで苦しい思いをする
・ 無理を通そうとするから苦しい
・ 自ら苦しむ道を選び、自ら拷問にかかっているのはバカらしい
・ もうよそう
・ 安らかな平和は、死ななければ得られない
・ 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。ありがたいありがたい
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『吾輩は猫である/夏目漱石』の簡単・分かりやすい要約
『吾輩は猫である/夏目漱石』の主な登場人物は3人です。
1、吾輩(ネコ):主人公。
2、主人(苦沙弥:くしゃみ):家の主人。教師で、変に凝り性なところがあり、胃が弱い。
3、おさん(お手伝い):主人の家のお手伝い。最初は、吾輩を家から追い出そうとした。
ここからは『吾輩は猫である/夏目漱石の簡単・分かりやすい要約』として、概要だけ説明していきます。
吾輩は猫である。名前はまだない。
吾輩はどこで生まれたか覚えていませんが、暗い場所でニャーニャー泣いていたことだけは覚えていました。
辺りは暗くなっていき、腹は減り、雨は降り、どんどんと寒くなっていき、
吾輩が生き残るには一時の猶予もなくなっていました。
吾輩はとにかく暖かそうな場所を求め歩いていくと、いつの間にかこの家の中に入っていたのです。
吾輩が家に入ると、お手伝いの「おさん」という人間は、何度も吾輩を外に放り出しましたが、
家の主人である「苦沙弥(くしゃみ)」の許しが出て、吾輩はこの家に住みつくことになりました。
主人は変に凝り性なところがあり、胃が弱いくせに、いやにいろいろなものにハマっています。
あるとき、主人は水彩画の道具を一式そろえて帰ってきました。
吾輩が昼寝をしていると、どうやら主人は吾輩を写生し始めたようで、
吾輩は笑いをこらえるのに必死でした。
吾輩はあくびも我慢してしばらくはじっとしていましたが、どうみても主人の描く吾輩は不自然です。
そもそも色がてんで間違っていて、目らしいものさえみつからないのです。
もうじっとしていても仕方ないとみえ、吾輩は動き出しました。
すると主人は、”ばかやろう” などと怒るではありませんか。
まったく、我慢してやった吾輩の気も知らず、むやみにばかやろう呼ばわりとは失礼極まりないものです。
どうも人間というものは、自分の能力に慢心しているようです。
人間より強いものがでてきてイジメてやらなくては、どこまで高慢になるのかわかったものではありません。
どうやら人間はのんきにみえるけれども、どこか悲しい音がします。
主人は胃が弱いために、間もなく死ぬでしょう。
死はあらゆるものの定めです。
なんだが吾輩も憂鬱になってきました。
残っていたビールを飲むと、だんだんと楽になってきました。
あてもなく、あちらこちらを歩き回ったような…。
気が付くと、吾輩は水の上にいました。
どうやら甕(かめ:大きな陶器の容器)の中に落ちてしまったようです。
甕をガリガリとひっかけば少しは浮きましたが、ちょっと滑るとまた水の中に沈みます。
沈むと苦しいから、またすぐガリガリする…。
無理を通そうとするから苦しい。
つまらない。
自ら苦しむ道を選び、自ら拷問にかかっているのはバカらしい。
もうよそう。
だんだんと楽になっていきました。
吾輩は死にます。
安らかな平和は、死ななければ得られません。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。
ありがたいありがたい。
以上が簡単な『吾輩は猫である/夏目漱石』の要約です。
だいぶ省略してしまったので、以下に詳しい『吾輩は猫である/夏目漱石』のあらすじも載せておきます。
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『吾輩は猫である/夏目漱石』のあらすじ・解説
ここからは「吾輩は猫である/夏目漱石」のあらすじと解説です。
吾輩は猫である
吾輩は猫である。名前はまだない。
吾輩はどこで生まれたかも覚えていませんが、暗くてじめじめした場所でニャーニャー泣いていたことだけは覚えていました。
吾輩はこのとき、はじめて人間というものをみました。
どうやらそれは書生(しょせい:若い勉学者 ≒ 学生)という種族らしく、
われわれを捕まえては煮て食うという、最も悪質な人間であるそうです。
吾輩が書生に持ち上げられたとき、最初はふわふわした感じがしましたが、
やがてすさまじい速さで動き始め、目から火が出るようでした。
どうやら吾輩は書生に投げ捨てられたようです。
そのうち、辺りは暗くなっていき、腹は減り、雨は降り、どんどんと寒くなっていき、
吾輩が生き残るには一時の猶予もなくなっていました。
吾輩はとにかく明るくて暖かそうな場所へ歩いていくと、
いつの間にかこの家の中に入っていたのです。
吾輩と主人との出会い
吾輩が家に入ると、お手伝いの「おさん」という人間に出会いました。
おさんは吾輩をみると、すぐに外に放り出してしまいました。
吾輩がまた家の中に入ると、おさんは何度も吾輩を投げ飛ばします。
それが4、5回続いたところで、家の主人である「苦沙弥(くしゃみ)」というもの出てきて、
おさんに ”うちにおいてやれ” と言いました。
こうして吾輩は無事に、暖かい場所に避難することができたのです。
どうやら主人は教師であるようで、1日中書斎にこもってほとんど外に出てきません。
家のものは、主人が熱心に勉強していると思い込んでいましたが、吾輩は実はそうでもないということを知っています。
吾輩はときどき、主人に気づかれぬようこっそりと書斎を覗いてみるのですが、
主人はときどき本の上によだれを垂らして眠りこけているのです。
吾輩と主人の日常
主人は変に凝り性で、何にでもすぐにハマっては、胃が弱いくせに、いやに熱心に趣味に興じています。
あるとき、主人が大きな荷物を持って帰ってきたと思ったら、
今度は水彩画に取り組むようでした。
吾輩が縁側で昼寝をしていると、主人がなにやら後ろでゴソゴソやっています。
どうやら吾輩を写生しているようで、吾輩は笑いをこらえるのに必死でした。
主人はがあまりに熱心に吾輩を写生しているので、吾輩もあくびをするのも我慢してしばらくはじっとしていました。
しかし、主人の描く吾輩はどうみても不自然です。
吾輩は猫として決して立派な出来とはいえませんが、
それにしても主人の描く吾輩には目らしいものもなく、色さえ全然違うのです。
もうじっとしていても仕方ないとみえ、吾輩はのそのそと動き出しました。
すると主人は、”ばかやろう” などと怒鳴り始めました。
まったく、我慢してやった吾輩の気も知らず、むやみにばかやろう呼ばわりとは失礼極まりないものです。
どうも人間というものは、自分の能力に慢心して、むやみに高慢になっているようです。
人間より強いものがでてきてイジメてやらなくては、どこまで増長するかわかったものではありません。
その後も、吾輩と主人との生活は続いていきました。
主人の弟子である「寒月(かんげつ)君」が来ては「○○子」との恋愛話で一悶着(ひともんちゃく)あったり、
「○○子」の母親が主人の家に乗り込んできたりもしました。
また、主人の家に泥棒が入ったこともありました。
吾輩は主人を起こしてやろうとしましたが、てんで起きる様子はなく、
主人は盗まれたものすらわかっていない様子でした。
吾輩の死
どうやら人間はのんきにみえるけれども、心の底をたたいてみるとどこか悲しい音がします。
主人は胃が弱いために、間もなく死ぬでしょう。
死はあらゆるものの定めです。
なんだが吾輩も気がめいってきました。
残っていたビールでも飲もう。
ビールを飲むにつれてだいぶ楽になってきました。
あてもなく、あちらこちらを歩き回ったような…。
気が付くと、吾輩は水の上にいました。
どうやら甕(かめ:大きな陶器の容器)の中に落ちてしまったようです。
のんきにしていれば沈むばかりで、かといってどうあがいても外に抜け出せそうにありません。
甕をガリガリとひっかけば少しは浮きましたが、ちょっと滑るとまた水の中に沈みます。
沈むと苦しいから、またすぐガリガリする…。
その時、吾輩は苦しいながらも、こう考えました。
上がりたいのは気持ちはあるが、どうあがいても上がれないのは明らかだ。
無理を通そうとするから苦しい。
つまらない。
自ら苦しむ道を選び、自ら拷問にかかっているのはバカらしい。
もうよそう。
だんだんと楽になっていきました。
苦しいのかありがたいのか…。
吾輩は死にます。
安らかな平和は、死ななければ得られません。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。
ありがたいありがたい。
以上が「吾輩は猫である/夏目漱石」のあらすじです。
「吾輩は猫である」は、夏目漱石が ”山会” という場で、1回だけ朗読するつもりで書かれた作品です。
しかし、あまりに好評だったので、どんどんと追加していって、
現在の文庫本でも600ページを超えるような大作になってしまいました。
そのため、最初はテーマがはっきりしていて読みやすいのですが、
途中でどんどん追加されていく人間模様などは、「吾輩(ネコ)」の興味深い観察対象となってはいるものの、
本来描こうとしていた趣旨とは大きくかけ離れた逸話になっているように感じます。
そのため、今回の「あらすじ・要約」では大胆にカットさせていただきました。
「吾輩は猫である」の最も大きな特徴といえば、やはり ”主人公が猫で、猫視点で人間が描かれている” という点でしょう。
夏目漱石以前にも、動物が主人公となる小説(書きもの)は存在しましたが、
「吾輩は猫である」ほどユーモラスに人間描写をし、同時に人間の傲慢さと無力さ、悲哀さを見事に表現した作品は思い当たりません。
家の主人は、命が長くはないというのに熱心に趣味に興じ、
それを取り巻く人々も変に困難に立ち向かったかと思えば、ともすればトラブルから逃げて楽な道へ逃げようとします。
また、主人公の猫自身も、人間をあざ笑うような所感をもちつつも、
欲望に負けてお餅を食べて死にそうになったりします。
猫は ”人間が本当はひ弱で、間もなく死ぬとわかっているにもかかわらず、悪戦苦闘して生きていく様” を眺めているのです。
その姿勢を滑稽だと感じる一方で、どこか物悲しさを感じていたのでしょう。
それが「人々の心の底をたたいてみると、悲しい音がする。(中略)なんだか憂鬱になってきた。」という、
猫が死ぬ原因となったビールを飲む直前の文章につながっています。
そして、猫自身も水に落ちて「死にたくはない。(中略)だが、助かる見込みもないのに、わざわざ苦しむ必要もないだろう。」
という一文で、猫は死を当然の結末として受け入れ、ありがたく水の中に沈んでいきます。
要は、作品全体を通して ”人間の傲慢さ・滑稽さ” を風刺しつつも、
それが人の性(さが)であり、死ぬ間際にならなければ死を肯定できないことを表現しているように、私には感じられます。
ただし、あくまで私的な感想ですので、お時間がある方はぜひ原作を一読してみてください。
かなり長い文章で、中盤は読みづらさもあるため、中学生にはあまりおススメできませんが、
高校生以上なら一度読んでみる価値は十分にあると思います。
私自身、10年ぶりくらいに「吾輩は猫である」を読み返して、”やっぱりテーマなんてない、ただ設定だけが奇抜なユーモア小説じゃ…(笑)” などと感じているのが本音なので、
ほかの方はどう感じるのか興味のある作品です。
図書館を使えばタダで借りられるでしょうし、ブックオフなら100円コーナーに置いてあると思うので、けっこうおススメです!
以上、『吾輩は猫である/夏目漱石【あらすじ・簡単な要約・読書感想文・解説】』でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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